浦上雅彦のひとり言

市会議員浦上雅彦の活動日記

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

室津へ行こう!

 
毎年宣伝しております!
 
 
私の大好きな室津で行われている真夏のひな祭り。
 
 
その名も「八朔のひな祭り」です。
 
 
 
時は戦国1531年、備前、播磨、美作の統一を果たした浦上村宗は、落ちぶれていた管領細川高国とタッグを組み、破竹の勢いで京に進行、遂に念願の京奪還を成し遂げた。
 
 
ここからが「大物崩れ」の開戦。堺公方側は、三好元長軍一万五千騎、細川持隆の援軍八千騎が、摂津中嶋に陣した細川・浦上軍二万騎と一進一退の攻防を続けていた。
 
 
7月17日事態が急変する。浦上方で浦上軍に従っていた播磨守護の赤松政祐の軍勢が、三好方に内応しており、細川高国・浦上村宗軍を背後から急襲した。その為、挟撃する側としては理想の形となり、一気に勝敗が決した。
 
 
浦上軍の将士二万は全滅、父親を浦上村宗に殺害された赤松政祐の怨みは深かった。細川高国も広徳寺にて自害……これを「大物崩れ」と呼びます。
 
 
 
「大物崩れ」から30年のち……まだまだ戦国真っ最中、1564年1月11日。
 
 
 
天王寺で非業の死を遂げた戦国大名浦上村宗の嫡男、浦上政宗は、室津城で息子の祝言を挙げていた。政宗の弟、浦上宗景は備前に勢力を伸ばし、兄政宗を悩ませていたところだった。
 
 
 
室津城に姫路城から嫁いで来た姫は、有力武将黒田官兵衛の妹君だったが、祝言の最中を急襲されてしまう。
 
 
祝言の最中を襲ったのは、龍野城主赤松政秀。浦上家と黒田家の合力を阻止したのである。
 
 
姫さまも果敢に長刀で応戦したが奮闘虚しく、浦上政宗も、息子も姫さまも惨殺されてしまう。
 
 
 
室津の人々は、室津に嫁いで来たその日に命を落とした、祝言を挙げている最中に討たれた姫さまを悼み、3月3日にする雛まつりを半年先に延ばしたと言う。
 
 
その伝統が今も室津に残っており、室津ではひな祭りは、八朔(はっさく)がとれる頃にやるのです。
 
 
私は毎年、この祭りを見るために室津に行っています。
 
 
たつの市の民族資料館に、古い古い年代物のお雛様が展示されていますが、よく見るとお雛様の道具に浦上家の紋が入っていたりします。
 
 
車で約一時間、歴史にロマンを馳せながら、今年も必ず行こうと思ってます。
 
 
 
もう始まってますが、8月28日までやっています! 
 
 
 
追伸
 
 
徳島の浦上さん、コメントありがとうございました。
当然繋がっています。
 
岡山に来る事があれば、遠慮なく声をして下さい。
 
 
 
 
 
 
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


管理者にだけOK

トラックバックURL

プロフィール

浦上雅彦

Author:浦上雅彦

最近の記事
最近のコメント
twitter
月別アーカイブ

最近のトラックバック
FC2カウンター

カテゴリー
フリーエリア

ブログ内検索

RSSフィード
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。
right before the "BODY" end tag (
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。
)