浦上雅彦のひとり言

市会議員浦上雅彦の活動日記

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人生は不条理

本日は、元衆議院議員の熊代昭彦先生の話題でもちきりだった。

中区から市議選に出馬されるとか……

熊代先生とは、私もいくらかの縁(えにし)がある。
少なくとも私はそう認識している。

郵政解散の折、時の政府が人の道に外れた事を決行した。この時ほど私の正義感が爆発した事はない。

国だけじゃない
自民党岡山県連も同じような事をした。

郵政法案に反対してくれと、県連がお願いしたにもかかわらず、いざ国が本気な事がわかると、国の方針に逆らう事なく、対抗馬に県連の推薦を打った。

筋の通らない事に、私の義侠心は、最高潮に達した。
市内のいたるところでマイクを握り、政府や小泉総理に噛みついた。加担した国会議員や自民党県連の事も、容赦なくマイクで斬り捨てた。

こんな事が許されてたまるか!私の心の中は正義の御旗がたなびいていた。


しかし、結果は惨敗だった。巨大な権力の前では、正義も無力だった。悔しくて男泣きに泣いた。

日本全体が、まるで何かに取り憑かれたかのように、昨日までの仲間を、よってたかってみんなで殺した。私の愛する自民党は壊れた……と思った。。。

実際、自民党はあの時からおかしくなり、結局民主党に政権を奪われた。。。。かなり時間が経ってからやっと、小泉政権下で起きた不思議な熱から国民は目覚めた。。。。。

その後、熊代先生は参議院選挙にも出馬された。


私は、私が守らなければならない支持者がいる立場で、支持者を何度も路頭に迷わす事は許されないわけだが、もう一度だけ、この人を支えようと決意した。


事務所開きや出陣式にも動員をかけ、個人演説会も開いた。選挙カーにも毎日乗り込み、絶叫した。


見渡せば、援軍に駆けつけた市議は、私だけだった。

この選挙も惨敗した。


その後、衆議院選挙があり熊代先生は三度(みたび)立たれた。

萩原代議士と津村代議士の一騎打ちに、熊代先生が出馬するとゆう事は、萩原代議士のマイナスにしかならないのは歴然としていた。
この出馬は、萩原先生の比例復活をも許さない、最後のとどめをさす為なのだなと感じた。

あの時、人気絶頂にあった現役の市長が刺客となり、熊代先生は衆議院選挙で激突する事を避け、市長選挙に下る決断をされた………あの時の無念を、晴らすつもりなのだと直感した。

この選挙に出て、今度は萩原さんの刺客となる事で、一連の物語りを完結されるのだと感じた。


私はこの戦いには駆けつけなかった。これは仇討ちであり、当選の可能性のない選挙に、もうこれ以上、私の支持者を巻き込む事は許されないと判断したからだ。

結果、萩原先生は落選、比例復活も出来なかった。

熊代軍は、仇討ちに成功したのだ。

こんな事は決して良い事ではない。。。恨みが連鎖していくだけだ。。。しかし、不条理な事を無理矢理進めれば、こんな事になるのだ!!
日本各地でこのような事が起こったのだ。

結果的に郵政解散以降、保守勢力が分裂し、劣化した。だからこそ民主党が政権を穫れたのだ。


ここまでだ。

私が理解出来る範疇は……ここまでだ。


熊代先生が市議選??

それが真実ならば、私には相談があってもよいのではないか………

私が甘いのかもしれないが、私に対しての筋の通し方があるのではないか。

かつて、先生と共に死地を駆け抜けた私に、一言あってもよいのではないか。

先生の出馬を牽制しているのでは決してない。

やむにやまれぬご事情があっての事だと理解している。
そんな事ではなくて、先生が正式に出馬表明された事を、他人から側聞するのであるなら、私の一分(いちぶん)に触れる。


私は、ちっぽけな存在であるが、私の一分(いちぶん)に触れるのだ。

尊敬し、かつてはお助けもした熊代先生と、このまま何もないまま、同じ戦場で一戦交える未来が来るのであるなら……




人生は不条理だ。




私の事務所開きに、お呼びしようかと考えていたところだった。







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コメント

★ こういう時だからこそ「義」です

本当にKさんが市議選に出られるなら驚きです。
元国会議員が政令市とはいえ市議になるというのは前代未聞でしょうし、みなさん正直戸惑うと思います。

浦上先生が、Kさんに対してこれまで筋を通し、男としてまさに「義」を示され続けられたことは人として尊敬します。このような状況では、国政レベルの政策において従来からKさんを支援、支持してきた方々にとっても岡山市民、中区民として見た場合は、必ずしも同じようにKさんを素直に支援、支持とはいかないと思います。

市議、県議、首長から国会議員などといった鞍替えはいつの時代にも行われていますが、上手く行った試しがあまりありません。ましてや逆ですからある意味壮大な実験になるでしょう。地方自治は民主主義の学校と言われますが、例えれば大学の教授が小学校の先生に簡単にはなれないのと同じで、地方自治ほど細やかかつ繊細で難しいものはなく、単純に大は小を兼ねることができると考えているとすれば大間違いでしょう。(おそらくそのくらいはわかっての挑戦でしょうが。)

浦上先生は、市議になられて若い頃からずーっと、我々市民にとって身近な問題に対して常に真摯に取り組まれ、解決しようと懸命にこつこつ頑張られ、数え切れないほどの結果を出して私たちに応えていただきましたし、私たちもその姿を拝見してきました。

また岡山市が政令市になれるかどうかという歴史的重要な局面では、総務委員長として区割り問題を解決され、政令市移行の実現に大きく貢献され、岡山市議会の長い歴史の中でもその偉業は計り知れないと思っております。

そのような実績をお持ちの浦上先生の一方で、仮に過去に国政で絶大な実績がある元国会議員の先生であっても中区民にとっての実績はゼロです。

今後、Kさんと浦上先生が最終的にどのようなご関係になるのかわかりませんし、浦上先生とKさんが同じ会派内で仕事をされるようになるかもしれない?など先が全く読めないので、あまり決めつけて悪くは言えませんが、とにかく中区は戦国時代としか言いようがない不条理な状態だと思います。ただ言えることは、私や他の多くの市民の方々も「義」を重んじて浦上先生を信じて支援することしかできません。

 我々、富山学区民も、刺客選挙の理不尽さに精一杯、熊代市長誕生を目指し応援し浦上市議と悔しい思いをした事を忘れられません。
当の本人は忘れたのでしょうね?当時、志を貫き離党した熊代先生を意気に感じた自分に腹が立ちます。恥を知ってもらいたい!

郵政選挙落選後に熊代氏には何度か会合等でお逢いしましたが、ココまで来ると「信念は?」と問いたくなります。
そもそも郵政民営化に反対した事で刺客として萩原氏が送り込まれたのですが、最初に刺客の打診があったのは萩原氏ではなかったと聞いたことがあります。
あの時に兄との電話で「俺は熊代先生を応援する!」と断言されてたのをあっさりと自民党中央の裏工作で市長選に転身されたことで県連から総スカンを食らったのも仕方ないことですが、それでも浦上先輩が声を張り上げて市長選を支え続けられたのは今でも憶えております。
萩原氏との会談後に市長選へ出馬表明された事自体が問題であって、あの時は「まあ、仕方ないから市長にでもなるか・・・」としか有権者には受け取られなかったのです。
「参議院選挙へ来年出馬予定です。」と本人から挨拶された時も「綿貫さんに拾ってもらったか・・・」と同情さえ感じましたが、結果は惨敗・・・。
一昨年の衆議院選では支援者も少なくなって過去の遺恨を晴らしにドンキホーテの心境で挑んで仰るとおりのケジメをつけられたのでしょうね?
ただ心ならずも一旦地元の岡山市へ目を向けられたのならば、前回の市長選にこそ出馬されるべきでした・・・。
今回の決断は「恥も外聞も無い・・・」という言葉のまんまです。
もし間違っても市議会議員当選されたとしても熊代氏に期待する事はな~んにもありませんので、遠慮なく叩きのめしてください!

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