浦上雅彦のひとり言

市会議員浦上雅彦の活動日記

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

浦上家大集合!

F1010152.jpg
本日は、岡山市民70万人の中で、約70人しかいない浦上家にとって、記念すべき喜ばしい日となりました!!


本日より県立博物館において、岡山の戦国武将展がはじまります。


浦上家と宇喜多家を中心とした展覧会でございます!

1367年に浦上行景公が備前守護代に就任して以来、京都所司代を勤めるなど、歴代浦上家は、播磨、備前、美作の三国に絶大な影響力を持っていました。


1577年、浦上宗景公が宇喜多直家に滅ぼされるまで、浦上家の栄華は約200年間続きました。


備前で最大最強、天空の城、天神山城も、宗景公が信じていた家臣の明石が、直家と呼応しており、城内に火をつけられ落城してしまいます。


燃え盛る炎の中、乳母は二歳になる宗景公の末子を、懐の中に隠し、家臣の高取備中守の所にその子を預けました。備中守は、殿の子を高取家の子供として育て、自分の娘と結婚させました。


その間に生まれた子供が、備前浦上、我々の先祖であるとゆう事になっております。


落ち延びた宗景公はその後??宗景公の兄の子供と、黒田如水の妹が結婚した日に赤松家に襲われ、若殿と詩織姫が殺されるとゆう悲劇があり、浦上家と親戚関係にあったので、如水の息子である、黒田長政公の福岡へ出向き、余生を送ったそうな。。。


九州方面の浦上姓と関係があるとも言われています。

まっ、何が本当かわからないし、立証することも出来ませんが、、我が家の浦上家も落ちぶれておりますが、誇りだけは持っておきたいと思っています。


今まで、岡山の戦国武将と言えば、宇喜多家ばかりが取り上げられてきましたが、岡山県史上、浦上家を取り上げなければ宇喜多家は語れない、とゆう歴史認識にやっとなった事に対し、感謝したいと思います。


明日は、北は北海道、南は沖縄まで、日本全国一億人のうち、約二千人しかいない浦上家の方々、ご先祖様が450年ぶりに世間の注目をあびますよ!!

ご先祖様の刀や、甲冑、書状などを見学し、浦上家の息吹きを感じに備前においで下さいまし。。。



追伸………今、深夜の3時過ぎです!明日の朝刊にも展覧会の記事は載るだろうけど、新聞よりも先に書きたかったのでございます!



市民の皆さん、すいませんね ……… 市内にいる浦上さんしか嬉しくない話しでした。。。チャンチャン



最後の最後に、写真は備前浦上家の家紋です。


二引き両と言い、二匹の龍を意味しております。足利家が長年天下を執った強運の紋と言われています。
現代ではソフトバンクがこの紋を使っていますね。
スポンサーサイト

コメント

★ 落ち武者

徳島にも、いるぞー

★ 家紋について

家紋は、センスみたいな奴ではないんですか?

★ 承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです

コメントの投稿


管理者にだけOK

トラックバックURL

プロフィール

浦上雅彦

Author:浦上雅彦

最近の記事
最近のコメント
twitter
月別アーカイブ

最近のトラックバック
FC2カウンター

カテゴリー
フリーエリア

ブログ内検索

RSSフィード
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。
right before the "BODY" end tag (
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。
)