浦上雅彦のひとり言

市会議員浦上雅彦の活動日記

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オモロ-(笑)

ゴールデンウィーク最終日は、私のご先祖様にあたる??方が築いた城跡を訪ねました(笑)
佐伯町にある天神山の城跡です。我が家に先祖代々受け継がれている家系図によれば、私は浦上宗景の子孫となっており、他の文献で調べてみても、インターネットで調べてみても、我が家にあるボロボロの家系図と合致しているのです(笑)
浦上家の菩提寺や家紋、亡くなった祖父母の話などすべてが合致しています。けど信じてませんよ(笑)みんな、そうなってるはずですから~
岡山県内で浦上と言う姓は珍しいけど、県内で浦上と言う姓の家は、たぶんみんな、浦上宗景か浦上村宗(宗景の父)の子孫と言う事になっているのだと思います(笑)
そしてどの浦上家も、それを信じているはずです(笑)本当のところはわからないんですよ。
岡山県内のどれかの浦上家は本物の子孫でしょうけどね(笑)みんなうちだと思ってる(笑)それでいいんです。私も本当はどっちだっていい。
ただ死んだ祖父母が必死の形相で、幼い私に熱く語り、私に伝えた事が思い出されます。それが本当かどうかなんて問題じゃない。大好きだった祖父母の話にいつも出てきた浦上宗景に会いたくなった。。。ただそれだけです。

本日、天神山城の見張り番のところまで登りました。足も竦む高台に立ち、吉井川を見下ろし、当時の見張り番の気持ちを感じました。
今から400年以上昔、時は戦国、天正5年、備前の国を統治していた浦上宗景は、いちばん大切にしていた家臣、宇喜多直家に裏切られ攻め落とされました。天神山にそびえ立つ城は焼き払われ、備前の国の殿様は、戦国武将であるにもかかわらず、すたこらさっさと逃げていき、身分を隠し生き延びたそうな。。。その後はさまざま説があるが、謎につつまれています。

戦国の世で、大名にまで登りつめた武将が、部下に裏切られ、謀反をおこされても、武人としての死を選ばず、逃げていった。たぶん死ぬのが、あほらしかったんだろう~なかなかカッコ悪いところが風流でよい。

浦上宗景の子孫である浦上玉堂は間違いなくその血を引いている。玉堂は風流人で日本全国を旅して歩き、たくさんの美術品を残した。
その昔、私も子孫の可能性があるので(笑)玉堂の作品のひとつも所有しとかなければと思い、美術商に調べてもらったら、あまりの高さにひっくり返って倒れた事があります(笑)なんでもかんでも玉堂の作品なら、家が五軒は建ちます(笑)はっはっは!!めちゃくちゃや!!

(参考)浦上宗景の父、浦上村宗は、播磨の西部から備前の東部を統治していた。三石城の城主。
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コメント

岡山市の市立図書館の休館日が毎週月曜日に固定されていて使用しにくいです。どうにかなりませんか?

★ なるほど~

最大公約数をとるために、岡山市内の図書館は土日を営業して、月曜日を休日にしています。全国的にもそうゆう感じが主流のようです。ただし、西大寺図書館は月曜日もやっていますよ!そのかわり水曜日が休みです。。。

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