浦上雅彦のひとり言

市会議員浦上雅彦の活動日記

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首都決戦!!!

 
自民党本部や県連から舛添候補を応援するように依頼が来ている。
 
悪いが「義」のない話しだと感じている。
 
舛添氏は自民党の比例で当選したにもかかわらず、自民党が政権を失い、野党に下ったらすぐに離党して新党を立ち上げた男ではないか!!! 
 
自民党議員が心ひとつに結束して、国民の信頼を回復せねばならん時に、そそくさと逃げ出した男ではないのか!!
 
まったく応援する気など起きぬ。
 
私の心の声は田母神候補に声援を贈っている。
 
 
 
 
 
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カリスマ美容師

チャキーン!!! 将宗めー
 
前髪を斬ってやった!!半分カーブ 半分ガタガタになった(笑) 1歳のくせに親の言う事はまったく聞かず、悪さの限りを尽くす幼児。ハッハ~ざまあみろー\(^o^)/

祝 大河ドラマ出演


今夜のNHK大河ドラマ「黒田官兵衛」に浦上家が登場します。

【壮絶!!!備前・播磨の戦国】

時は戦国1564年1月、姫路城から美しいお姫様(黒田官兵衛の妹)が浦上総領家の室山城(たつの市)へ嫁いで来ます。浦上家は、京に近い播磨(兵庫県)に総領家が、兄弟などに備前(岡山県)を護らせ、歴代の当主達は備前と播磨を行ったり来たりしました。
当時の浦上家当主は浦上政宗(幼名 虎満丸)備前国を統治している弟の浦上宗景とは不仲で、宗景が台頭している事に頭を痛めておりました。

さらに悲劇は起こります。浦上政宗の嫡男、浦上清宗と黒田官兵衛の妹が祝言を挙げている最中に赤松政秀率いる軍勢に急襲され、室山城は落城、政宗も清宗も姫様も全員惨殺されてしまいます。

室津の方々は姫路城から嫁いで来たその日に殺されたお姫様の死を悼み、三月のひな祭りを取り止めます。半年遅らして真夏にひな祭りを行った風習が現代まで語り継がれ、今でも室津港一帯の地域では、ひな祭りは八月に行っております。
これを「八朔のひな祭り」と言い私も毎年室津に出かけております。

浦上家本家と黒田家の絆は固く、浦上政宗の次男が浦上総領家を継ぎますが、その次男に黒田官兵衛の殺された妹のそのまた妹が嫁ぐ事になります。

浦上家は二度も黒田家から嫁をもらっているのであります。

それをよしとしなかったのは今度は弟の浦上宗景でした。宗景は実の兄の子供に刺客を送り込みます。暗殺部隊は浦上政宗の次男の暗殺に成功!! 主人を暗殺された事で黒田官兵衛は急いで妹を姫路城に連れ帰りますが、なんと妹は妊娠しているのです。

浦上家本家の血脈と黒田家との間に生まれた子供を浦上久松丸と名付けました。
官兵衛は姫路城でこの子を密かに育て、久松丸の存在を伏せておりました。なぜなら備前から暗殺の魔の手が伸びて来る可能性があったからであります。

1573年(天正元年)そうこうしているうちに織田信長は浦上宗景を備前・播磨・美作、三国の国主と認める朱印状を贈ります。宗景は大いに喜びましたが、15歳から宗景に仕官し、宗景に育てられ、過去に謀反を起こしても許してもらった宇喜多直家は相当に力をつけていました。主家である浦上宗景を倒す機会を虎視眈々と狙っていたのであります。

宇喜多直家は有力武将に娘を嫁がせ、何年もかけて安心した所を刺し殺す!もしくは酒に誘い毒殺する。この手法を得意としました。直家はとうとう浦上久松丸の存在を知ります。信長の手先で備前入りしていた豊臣秀吉が絡んでいます。浦上宗景を倒す時、大義名分が必要です。官兵衛が姫路城で囲っていた少年、浦上久松丸の存在は直家にとって正に切り札でありました。

宇喜多直家は岡山城に浦上宗景の嫡男を呼び出し宴を開きます。その宴会にて若殿を毒酒にて殺害、その日に浦上宗景の居城である天神山城(和気町)に向けて一万の兵で攻め込みます。総大将はわずか8歳の久松丸です。宇喜多直家は、この戦いは、より正当な浦上家が備前を治めるための戦いである!と皆に訴えました。浦上宗景討伐の総大将を浦上本家の血脈である久松丸が務める事で大義名分が立ち、浦上本家に仕えていた旧臣も播磨からぞくぞくと集まったと云います。

1575年八月

天神山城落城 鎌倉時代から続いた名門浦上家は滅亡します。

宇喜多直家に利用された八歳の浦上久松丸はその後、岡山城にて毒殺、直家の娘四人は四人とも嫁いだ先の武将を直家が殺害しているため、四人とも父親に対し抗議の自殺を図っています。


まさに戦国………備前・播磨の戦国が最も戦国時代らしい戦国だと多くの方々が言われるように、我が岡山県においても、武将達による壮絶な命のやり取りが約100年間続いたのでありました。

岡山市と最も関係の深い、岡山城城主宇喜多直家の嫡男が宇喜多秀家であり、秀家の妻は加賀百万石の前田利家の娘

あの豪姫であります。

約200年間の長きに渡り備前国に威勢を誇った浦上家を倒し、備前国の天下を穫った宇喜多家ですが、関ヶ原までのわずか25年間とゆう大変短いものでありました。

天下人となった太閤秀吉との蜜月な期間を経て、宇喜多家崩壊の「関ヶ原」に突入していくわけであります。

浦上家


NHK大河ドラマ「黒田官兵衛」に浦上家が登場しています。浦上家は岡山県の代表的な戦国大名家ですが、ほとんどの県民に知られていません(笑)

岡山市は城下町であるのに岡山の礎を築いた岡山城城主の名前さえ、ほとんどの市民が言えない現状ですから……仕方ないのかもしれませんが……教育が悪いのか……寂しい限りです。

故郷愛は郷土の歴史を知る事から始まります。愛国心も同じ……まずはその国の歴史を知る事から、そこから生まれる愛です。

先ほどの初代岡山城城主は、宇喜多直家です。

〓浦上家とは〓

浦上家は平安時代の公家 紀貫之の子孫であり、紀貫之の子孫の紀秀村なる人物が京を離れ、播磨の浦上庄(現たつの市)へ住み着いたのが始まりと云われています。よって地名である浦上地方の紀さん→ なので浦上家の当主達は皆、浦上紀(うらかみきの○○)と名乗りました。浦上は地名であり、名前はあくまで紀姓である事にこだわったようです。

浦上家の家紋、檜扇(ひおおぎ)は武家らしからぬ、いかにも公家の紋章です。
浦上家で最も有名な人物は、京都大徳寺の開祖、大燈国師 宗峰妙超です。

浦上家は1300年代半ばから備前国守護代を歴代の当主が務め、約200年間に渡り岡山県を中心に栄華を極めました。1575年、宇喜多直家の謀反により滅亡。浦上家は岡山県内に最も多くの城を所有し、多くの戦国武将を輩出しました。

【有名な武将として】

〓浦上美作守則宗〓赤松家再興の中心人物、室町幕府の信頼厚く京都所司代として京の都を護る。過去のNHK大河ドラマ「花の乱」に登場しています。

〓浦上村宗〓港とゆう港は全て、海の要衝を押さえていた浦上家は莫大な財力があり、とうとう村宗の代で守護である赤松家を凌駕がします。赤松家は浦上村宗を倒そうと備前に向けて三度挙兵していますが、三度とも敗走しています。村宗は反撃に転じ赤松を捕らえ幽閉した後に殺害します。浦上村宗は、細川家(都知事選挙に出てる)の内紛に積極的に関与し、最後は赤松家の裏切りにより討ち死にします。(裏切られて当然、信じる方がおかしい)その戦で浦上方の兵の死者は7千人とも云われています(大物崩れ)

〓浦上遠江守宗景〓

浦上村宗の次男 浦上政宗の弟
上洛した際、織田信長から備前・播磨・美作、三国の国主として認める朱印状を贈られている。
少年だった宇喜多直家を可愛いがり、力を付けてやり、最後は裏切られ滅亡する。

さてさて この辺りから明日、放送される「軍師・官兵衛」と浦上家が密接に関係する時代であります。

続きはまた明日、書きますね('-^*)

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